バックアップ

[PREV] [NEXT]
...... 2017年10月14日 の日記 ......
■ 1581+. 一人の名無しさん   [ NO. 2017101402-1 ]






から、コメントいただきました。以下、掲載します。


1577の「天意」についてコメントさせてください。


八 百万の神々の国である日本で、そもそも「天意」が一つということ自体、考えられません。多くの神々がそれぞれの「天意」をもとに動いているため、それぞれ の「天意」を意識的に、もしくは無意識的に受けて動く人間が、一致団結できるはずなんてありません。神々の間では、人間界の人間関係の動きと同様に、ある ところでは協力し、またあるところでは対立し、結果として何らかの方向に向かって向かっていきます。人間としては、天意ではなく、自分の考える「あるべき 姿」を考え、に向かって、できることをやるしかないと思います。それに、神が一柱でも乗っかったら、結果的に「天意」を受けた行動になります。

様々な人が異なる「天意」に基いて動いていると主張しているのは、それはそれで結構なことであります。しかし、「天意」同士のぶつかり合いは不可避です。いち人間としての各個人は、どの「天意」を勝たせたいのでしょうか?


(以上)


このコメントは私への質問というよりは、天葉さんへの質問ですね。


いずれはコメントが寄せられるかと思います。


私には神様を察知することは出来ません。私の中では「天意」は「天の理」と読み替えて解釈しています。具体的には、日本語の諺の中に投影されていると思います。仏教と神道が混ざったような形で「日本教」は出来ているわけで、純粋に神かどうかは微妙ですが


因果応報


人を呪わば穴二つ


天知る地知る己知る


これはエネルギーの法則なんだと先人達は知っていたのではないかと思っています。地球の自転が、太陽の回りを回る公転が逆回転しないように、逆らえないものはあるんだと私は思います。神様同士の争いがあるように見えたら、それはもっと低次元での話ではないかと。


(1577 に別の方からもコメントいただきました)


天葉さんのスピ系の感覚というのは私にはよく分からないです。

実家に置いてきてしまいましたが、現世に近い下級霊ほど現世に対する影響力は強く、高位の世界にいる霊ほど現世に対する影響力が弱い(次元が遠いから)みたいなことを山蔭基央氏が著書で書かれていた気がします。

これはどっかのオカルトの記事だったと思いますが、下級霊や魔物が神様のふりをして啓示を与えることもある。一二三神道もそれじゃないかという指摘がありました。

どこまで正しいかは分かりません。私にはお手上げです。


(以上)


(天葉さんからのコメントを掲載します)





「天意」について質問していただいた方へ




まず、私の寄せた稿を読んでいただいたことを嬉しく思います、あ りがとうございます。


投稿者様のコメントを拝読させていただきました。


投稿者様は「「天意」はひとつでは無く、八百万の神の数あって、 それぞれの「天意」が個々に動いていて、ぶつかることも不可欠で 、一致団結出来るはずが無い。」という意見なのですね。


その思考の基で御自分が出した結果が、


「人間は「天意」では無く、自分の考えるあるべき姿に向かって出 来ることをやるべきである。」ということですね。




投稿者様の仰る通り、「天意」は「神意」の事でもあり ますので、八百万の神々それぞれに「神意」があり、その意を「発 動」されています。


「天意」は「それぞれに発動」もされていますが、私が「日本真生 」の稿で書いている「天意」とは、投稿者様の仰る「天意」を総合 、統合した「総意」の事を指しています。


投稿者様は「天意」が一致団結出来るはずが無いと思われています が、


私は天(神界)には「天の総意」というものがあるということを、 教えられ受け取っています。


そのお伝えの受け取りを基にして、投稿者様の意見を考えるとする なら、


日本は八百万の神々がおられますが、もしその神々のそれぞれが別 々の方向を見て、対立していたりしたら、とっくに日本はバラバラ の粉々になっていると思うのです。




八百万の神々を生んだ神もおられるということ。


天界には「総意」があるということ。


天界(神界)も現界にも「不偏の宇宙のコトワリ」があるというこ とを知っていただくと


投稿者様の「天意」に対する考えも変化されるのではないかと思い ます。


そして投稿者様の出した結果である「人間は「天意」では無く、自 分の考えるあるべき姿に向かって出来ることをやるべきである。」 につきましては、


今、まさに「天意」から離れ自分の偏った思考のもと、行動されて いる方が多い現状への懸念があります。


「宇宙の理=天意」から離れた事となった反りがあるという警鐘を お伝えすることも、これから必要となってくるかもしれません。


そして、投稿者様のご質問「いち人間としての各個人は、どの「天 意」を勝たせたいのでしょうか?」


この質問へは、「天意」には「宇宙の理」のもとでの「総意」というものがありま すので、「勝つ」も「負ける」も無い事です。




投稿者様はこちらのブログの読者様と思われます。


こちらのブログに書かれている文中に「宇宙の理=真理」が書かれ ています。


「天意」をご存知の投稿者様なら既に気付いておられるか、もしま だというのならぜひ過去記事を読み返して頂きたいと思います。


ストンと腑に落ちる文章、魂に響く言葉の中に「真理」があります 。


投稿者様は「真理」に辿り着けるお方だと思います。


「天意」がわかれば、「意」に「乗れ」ます。


「祈り」とは「神の(意)に乗る」ことなのです。


気付けば、そこから投稿者様の進む未来を変えることが出来ます。


重ね投稿者様よりのコメントに感謝申し上げます。


ありがとうございます。


天葉






(以上です。返信ありがとうございました)






「どの天意」という言葉で、思い出したことがあります。


「真実は疑いなく美しい、しかし、嘘もまた同様である」


ラルフ・ウォルド・エマーソン

(19世紀アメリカの思想家・哲学者・作家・詩人、1803〜1882)


の言葉です。


後半部分については、私は嘘は美しくないと、人は感じることが出来るはずだと思っています。


だから、


物事の判断に迷ったときは、「美しい」ほうを私は選びます。


 






神様の総意というのは私には分かりません。


でも、真実ってのは、美しいものじゃないかと。定理や法則を見いだした人は、その美しさに心が震えたのではないかと。


.




似たようなことを言っているブログを紹介しておきます。











...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: